【楽々園遊園地】かつて五日市(楽々園)に全国でも有数の規模の遊園地があったこと知ってました?
2016/07/13
プールの中央に浮かぶ大きな帆船が印象的な「広島ナタリー(廿日市市)」、絶叫マシンなど幾多の乗り物が若者を中心に人気を博した「呉ポートピアランド(呉市)」、NHKのドラマのロケ地にもなった「千光寺山グリーンランド(尾道市)」、緑豊かな自然の中で羊や馬などと触れ合える「広島ニュージーランド村(安芸高田市)」……
いずれもかつて広島に存在した遊園地・テーマパークである。
かくいうわたしも子供の頃は広島ナタリーで遊んだことが多く、閉園の最終日も遊びに出掛けた記憶がある。
そんな子供の頃の楽しい思い出を作ってくれた遊園地が五日市の町にも存在していたことはご存知だろうか?
その名も“楽々園遊園地”。
私も遊園地がこの地に昔あったことは全く知らず、「楽々園って変な地名だな~」と気になり調べてみたら発見。
意外な過去を知れたこともあり、ぜひ皆さんにご紹介させていただきたい。
当時の貴重な写真や資料をもとに、かつて人々で溢れた楽々園遊園地を巡ってみた。
●電車で楽々行ける遊園地
楽々園遊園地は今から78年前の昭和11年9月8日に開園。
「電車で楽々行ける遊園地」というキャッチフレーズのもと一般公募で名付けられた。
その名前は今現在の“楽々園”という地名の由来にもなっている。
「中国地方の宝塚」と言われたこともあったようだ。
開園当初は、海水浴場や温泉施設まであったようで、春は花見、夏は海水浴と地元の人々で賑わう場所であった。

当時の貴重な写真を入手。意外と楽しそうですよね。

この「メル子ちゃん!?」は楽々園遊園地のキャラクターだったのか?

当時、このゴーカートが名物のアトラクションだったらしい。
●衰退、そして再出発
活気に溢れ、人々で賑わっていた楽々園遊園地だが、第二次世界大戦の影響で一旦休園となってしまう。
その後、再び開園はしたものの、かつての賑わいはなく、入場者数は激減。
衰退の道を辿っていった。
しかし、昭和30年代にその対策として新しい施設の運営を始めた。
観覧車やジェットコースター、ゴーカート、ウォーターシュート、プラネタリウムなどである。
さらに、夏にはプールも営業を開始。
それらの対策が功を奏し、衰退の道を辿っていた楽々園遊園地は再燃、第二次世界大戦前に匹敵する程の賑わいを見せたのである。
●さようなら、楽々園遊園地
賑わいを取り戻した楽々園遊園地は入場者数が年間60万人を突破した年もあったほど盛り上がっていたのだが、時代の流れには逆らえなかったのか徐々に客足が遠のいていった。
園内のレストランをリニューアルしたり、スケートリンク、ローラースケート場、アーチェリー場といった営業したりしてみたものの、昭和46年8月31日についに閉園してしまう。
開園から閉園までに訪れた入場者の数は約1,200万人であった。
その後は、1973年日本初登場となるパターゴルフ場「楽々園パットパットゴルフ」が開園。
これがまた話題の施設となり注目を浴びた。
この施設は1998年まで営業をされていたので記憶に残っている方もいるのではないだとうか?
●現在、楽々園遊園地があった場所は…?
そして現在、かつて楽々園遊園地があった場所は、マダムジョイやヤマダ電機、ホームセンターダイキなどが並びレジャー施設から商業施設と生まれ変わった。
そう、五日市の人々が買い物に訪れているあの場所に、かつて楽々園遊園地が存在し、ジェットコースターやプールなどがあったのだ。
遊園地があったという名残は現在は残念ながら見当たらないが、「楽々園」という地名そのものがその場所を思い出してくれる唯一の希望なのかもしれない。